数えてみれば9回目のタイランド。
来るたびに様変わりするバンコク。 初めてきたときにはスカイトレインも地下鉄も開通してなかった。 カオサンもコンクリートだったし、スタバもなかったし、月曜も路面店はお休みじゃなかった。 バンコクっ子はどんどんお洒落になってゆくし、物価も上昇を続けている。 2ヶ月ぶりに戻ってくると、やっぱりそこかしこに新しい店がオープンにていて驚きました。 バンコクの成長ぶりには目を見張るばかり。 さてさて、ハジャイからバンコクへ、3等席にて18時間の旅。 常磐線の白電、4人一組のコンパートメントをご想像ください。 途中、しんどいなあと思うことあったけど、ここいちばんの楽しい移動となりました。 お向かいのおばさまに魚の干物とカオニャオやお菓子をいただいたこと。 うしろの席で始まった昼真っからの宴会で酔っ払いにからまれたこと。 隣の席の子が貧血で倒れると横から現れたおばちゃんがタイマッサージをはじめたこと。 ビール瓶ラッパのみ、タバコも車内ですぱすぱの不良っぽい17歳の少年が、 彼の母君の点滴が抜けると必死で針を入れなおし、マッサージ、席も譲ってたちっぱなし、 寒がると上着も貸していたこと。 駅弁売りのかわいいゲイの男の子にハイビスカスもらったこと。 みんなでおしゃべり、ごはんはわけあいっこ、席もゆずりあい。 夜は新聞をひいて床に雑魚寝がはじまりまって。 途中まで誰も私を日本人だと思ってくれなくて、びっくりされたのもおもしろかった。 (最近は日本人にもこんにちはっていうとうわって驚かれます。) 3等席の登場人物たちは、みんなわりと田舎の出身で垢抜けない感じではあったけど、 そのぶんひとなつっこくて、人情に満ちてあたたかくて、心はきちんと伝わった。 あの光景、あの人々に出会って、バンコクとは違うタイの一面をみれたと思う。 昔からかわらないタイのやさしさとつよさ、なんだろうな。 何度も訪れるといろんなことを覚えて行動の自由度は増すけれど、 何度訪れたって出会うのは初めてのことばかり。 嬉しいことに、まだまだタイとの関係は切れそうにありません。 #
by ya_switch_nao
| 2006-03-11 18:50
| 旅のおはなし(インド以外)
今朝、国境をスムーズに通過、タイ側ハジャイに着きました。
町をすこし散策して、夕方にはバンコク行きの列車に乗ります。 お金と時間、ともに残りわずかなため、座席は3rdシートになりました。 前夜も寝台が取れなく、2日連続座席移動で体調も心配ですが、踏ん張りどころです。 そんな弱音もはいていられないインドのバラナシであったテロ事件のこと。 ハヌマン寺院、shiv ghanga Exp車内、バラナシ駅にて、同時複数爆発テロが 3月7日夕刻にあったそうです。死傷者30人以上。まだはっきりとした情報はありません。 2月27日にもニューデリー駅にて爆弾ごとテロリストがつかまっています。 どこも、私が頻繁に利用するところ。 実際、28日の朝にはニューデリー駅にいたし、 もしマレーシアに来ることを選択していなかったらきっと3月7日は間違いなくバラナシにいたと思う。 でも、自分がどうこうよりも、あの土地の人たちのこと。 彼等は逃げられない。 5月のメインガートでのテロで犠牲になり、1ヶ月入院、いまも火傷の跡が顔に残るバル。 10月、デリーでディワーリー祭の直前に起こったテロはたくさんの一般人が犠牲になった。 お祭りの準備のための母と子供たちのたのしい買い物のひとときが一瞬で消えた。 なにに気をつけたらテロを避けられるだろうか。 そこに暮らしている限り、彼等はただいつもどおりの生活をするしかない。 今月14日にはヒンドゥー教最大の祭り、ホーリーが控えています。 もし、なにも起こらなかったとしても、たのしいはずの祭りが不安なんて悲しすぎる。 このテロの風潮はなにが起因しているのだろう。 どうしたら、なくすことができるのでしょうか。 なにかを訴えるのに誰かの命が必要な世界なんて。 #
by ya_switch_nao
| 2006-03-10 14:56
| 旅のおはなし(インド以外)
もし、インドと中国と東南アジアが突如、一挙に恋しくなったなら、
そして、旅の猶予がきっぱり一週間、と宣告されたなら、 迷わずマレーシアに飛ぶだろう。 いくつもの種類の具が煮込まれた酷あるカレーのような、 あたたかでやさしく、すこし切ない真夏の夕焼けのような、 「マレーシア」という響き。 まだまだ歩き足りないし、食べたりないし、行きたい町もたくさん残っているけれど、 今夜、マレー鉄道にのって、タイの国境の町、ハジャイに向かいます。 ペナン島の紅茶色の子猫も、 宿の下のロティ屋さんも、 道端のタバコ売りのおじいさんも、 中国雑貨店の赤いエプロンのおばちゃんも、 ゲストハウスのスタッフたちも、 また、会うことができるでしょうか。 マレーの女性の鮮やかな民族衣装の華。 インドの音と匂いに満ちた通り。 チャイナタウンのお祭りのような毎夜の賑わい。 しっかり私の身体に沁みついた「マレーシア」の色。 もう行かなくてはならないのがさみしい。 旅行者の勝手な感傷にすぎないのかもしれないけれど。 Terima kashi、Malaysia. よい旅を、ありがとう。 #
by ya_switch_nao
| 2006-03-09 15:12
| 旅のおはなし(インド以外)
どこの国にいても、いちにちがおわりに向かう夕方はやさしい。
空のいろも、風のいろも、海のいろも、人々の表情も、あたたかな粒子で満ちるひととき。 今日はバイクをレンタルし、半日かけて島を一周しました。 多少鄙びてはいるけれど、ペナンは立派なリゾート地、ツーリストも多い。 でも、リゾートの中心を離れれば、ペナンに生きる人々の暮らしがあります。 なにより心打たれたのは、日が傾きかけた時間の漁村の風景。 簡素な木造の家屋のわきでハンモックに揺られる老人、 セパタクローで戯れる少年たち、小さな屋台で談笑するひとびと、 学校帰りらしき子供たちのはしゃぐ姿、舟からひき上げる男たち。 そしてそこには夕方の甘美な匂いが立ち込めていて、 私はひとり、酔いしれました。 毎日、夕陽に包まれるためだけに生きたっていいかもしれない。 何年か後に思い出すペナンの記憶は、きっと夕方のこの風景。 #
by ya_switch_nao
| 2006-03-07 20:48
| 旅のおはなし(インド以外)
マレーシアに入ってはや6日。
クアラルンプールに5日滞在の後、 いまはペナン島、海辺の小さなゲストハウスでのんびりしています。 常夏の国マレーシア。 私がいままでに訪れた国のすべてが混在しているようなところ。 毎日、なんどもなんども、ああ、知らなかった、と思うことばかりです。 すべての景色が、できごとが、太陽の熱気と共に音をたてて身体に沁み込んできます。 圧倒されたのは町を歩いたときの文化の多様さ。 スカーフで顔を覆ったマレー系の女性、パンジャビスーツのインド系の女性、 ルンギで歩くおじいさんもいれば、日本人とそっくりな華僑の人々。 町中に溢れる言語も、マレー語を中心として、タミル語、ヒンディー語、北京語、 広東語、もちろん英語とさまざまです。 中国語、ヒンディー語、英語、とどれも中途半端な私には心地よい。 マレー語はアルファベット表記というのにも驚きました。 マレー語は、ブルネイ、インドネシア、フィリピンの一部、タイ南部、シンガポールでも使えるとのこと。 インドミュージックが流れているかと思えば、となりでは最新中華POPS。 カレー屋を営むインド人の脇で、マレー人のナシゴレンの屋台。 中国のお茶屋さんもあれば、サリーの布を売るインドのお店もある。 隣国のタイのような東南アジアの町並みのなかで、3つの国が犇めき合う。 公では、マレー人、中国人、インド人、それにボルネオ島のサバ・サワラクを加えて マレーシアには5つの民族がある、とされています。 KLの私のいたGH界隈はネパール人、ミャンマー人などの移民も多かった。 さらに中国人のなかにも福建系、広東系、客家系などさまざまだし、 インド人はほとんどが南インドのタミル系、しかし北インド出身の人にも出会えます。 ボルネオ島などにはインドネシア人や、フィリピン人の移民も多いそうです。 マレー人はほとんどがイスラム教。 中国人は半数以上が仏教(もしくは無宗教)、残りはイスラム教、キリスト教。 インド人は約9割がヒンドゥー教、しかしムスリムだっている。 マレーシアでは宗教の自由が認められていますが、しかし国教はイスラム教。 イスラムでは5行6信によってお酒が禁じられているのは有名ですが、 この国の商店ではビールもウィスキーも売られています。 (ただし、ムスリムには売りませんとの貼り紙つき。) そしてNIESの一員というだけあって、都会っぷりも発揮しています。 タイの延長かと思っていたけど、物価や品揃えは台湾、シンガポール寄りです。 ああーもっとこの国を知りつくしたい、という気持ちでいっぱいです。 目的のない旅はもうできない、という発言は取り消します。 この不思議に溢れかえる世界を、私の細胞にとりこんでゆく作業。 たとえ欲深と罵られようとも、一生やめることができそうにありません。 #
by ya_switch_nao
| 2006-03-06 19:13
| 旅のおはなし(インド以外)
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